息が出来ない
鼓動の一つ、一つが重過ぎて



Bit Z



しんと静まり返った地下の魔法薬学の教室で、床に散りばめられた緑色の液体を雑巾で拭き取る。教卓でスネイプ教授がペンを走らせる音だけが、ただ響くだけ、それ以外は何も音がしない、静かなこの空間に2人の人間しかいなかった。


「それが終わったら、寮に戻っていい」


沈黙を破るように響いた低い声には感情など全く無く、冷たく言い放たれた言葉は私の耳にスッと入ってきた。緑色に染まった雑巾をバケツの中で一絞りすれば、澄んだ青色になって私の手をつたっていく。


「・・・綺麗」
「終わったのか?」


人の感動を余所に、眉間に皺を寄せて私の方を見てきた教授に、「まだ、です」と歯切れ悪く雑巾を絞りながら答える。この人の眉間の皺は深く深く刻まれるから跡が残るのではないかと何も考えずにじっと見てしまったために、また小言を言われてしまった。

大体、スリザリンの我が儘で態度がでかい奴らが零していったこの液体を、何でハッフルパフの私が片付けないといけないのか。かといって、スプラウト先生に言っても、きっと何の効果もないのだろう。この人は絶対耳を貸しやしない。


「先生。 終わったので、失礼します。」


バケツと雑巾を元あった場所に戻して、埃で汚れたスカートと膝を軽く手ではたいた。


「ハッフルパフに3点」
「・・・はい?」
「3点与えたと言っているのだ」


扉の前で立った私の目の前に魔法でレポートの塊りを浮かべて、スネイプ教授は「配っておけ」と私の手にドサっとそれを落とす。レポートを片手に抱えて小さく頭を下げ、ドアノブを握れば、冷たい空気がドアの隙間から入ってきた。


「ティナス・サンビタリアの娘らしいな」


スネイプ教授の口から出た名前に目を見開く。片手に持ったレポートを落としそうになるのをもう片方の手で咄嗟に止め、ゆっくりと後ろを振り返った。


「母をご存知なんですね」
「同じ寮の同級生だった」
「そう、ですか」


ペンを滑らせる手を止めないで、顔は下を向いたまま、黒く長い髪が揺れるのをただじっと眺めるだけ。この男が何故いきなりお母さんの話を出したのか、苦い記憶が蘇ってくる。


『愛せない』

(まだ、耳に残って消えないわ)


それから何も話そうとしない教授から視線を外して、お母さんの話をした理由など特に無いのだろうと胸をなでおろした。


「ハッフルパフへの加点有難うございました。」
「構わん 早く行け」


視線をこちらに向けようとしないスネイプ教授に、もう一度小さく頭を下げ、ドアをそっと閉めて、気温が外よりも幾らか低い階段を登る。


(何故、お母さんの名前を出したの)


スリザリンの生徒への愚痴は もう何処かへ行ってしまって、階段を上がり終えると私を待っていてくれたと一緒に寮へ戻った。


胸に落ちた鉛は消えてはくれない。






知らない、何も分からない