震える手を握り締めて、私は此処だよと云えたなら
あなたはもう振り返らずに私を見てくれるのでしょうか。




Bit [



教授の様子がどうしても気になって結局あまり寝られないまま朝を迎えた。昨日の教授の言葉は何を意味していたのだろう。切羽詰ったような教授らしくない口調は明らかに普通ではなかった。けれどその理由を聞くのはひどく無粋な行為である。本当は今すぐにでも教授の自室へ行きたいが、なかなか行動に移せないでいる。


結局お決まりの図書館で適当に選んだ本を広げ出窓に座り本に耽ることにした。この間だけは何も考えずに済む。そう思っていたのに、やはり頭に何も入ってこなくて、教授の言葉が頭の中をぐるぐると回っている。


「どうして愛していると言える、どうしてって言われても。」


私だって最初からそう思えたわけではない。結局はお母さん本人の口からそう云われてやっと気づけたのだから、自分だけでは解決できない問題だと思うのだ。そして何故また教授がそのようなことを聞いてきたのかが分からなかった。私やお母さんのことにはそれほど関心がなさそうな様子だった分、不思議なのである。


本を読むのを止めて、本棚の間を適当に歩き回っていると黒いローブが視界の隅に見えた。気づかれぬように近づくと、やはり其処にはスネイプ教授がいた。立っているのは研究所の棚の前だ。少し離れた場所から見ている私の存在には気づかず教授は背を向けて他の棚に行ってしまった。

彼が去った後の棚の前に立ち、先ほど読んでいたであろう本を手に取り開いてみると、なんとそれは7年生向けの呪文について書かれた割と簡単な内容だった。どうして教授はこんなものを読んでいたのだろう。本に夢中になっていたせいで背後の存在に気づかず、突然名前を呼ばれ思わず大きな声が出た。今日はマダムピンスが居ないのは幸いである。


「それは、」
「あ、えっと、その、」
「見ていたのか。全く親子ともども不躾とは呆れる。」
「それはどういう、」
「今日はもう此処を閉める早く出て行きなさい。」


教授に急かされて図書館を出たが、これから特にすることもない私は何となく教授が出てくるのを待っていた。数分して出てきた教授は私を見て眉間に皺を寄せたが、私を気にも留めず背中を向けてしまった。


「待ってください。」
「私を呼び止める程の大事な用でもあるのか。」
「そういうわけではないんですけど。」
「ならば声をかけるな。」


いつもに増して冷たい教授の言葉に負けずに後を付いて回ると動く階段の前で足を止めた彼は振り返りひどく機嫌の悪そうな声を出した。


「何がしたい。」
「それは私の台詞です。いいですか、ここ数日教授の様子がいつもと違っていて気にしないわけがありません。よくよく思い返せば、ホグワーツに戻ると言われた日からおかしかったんです。昨日もそうです。私なんかではお役に立てないのも、此処で私は貴方の妹に当たるのだからと言う図々しさも、重々承知です。けれど言わせてください、何かあったのですか、私には言えないことですか。」


捲くし立てるよう言い終えた次には、一粒涙が頬を伝うと、それからどんどん溢れ出てきて、終いには言葉も発せないほど嗚咽を漏らしていた。なんだ私は泣いてばかりではないか。様子がおかしいなど人のことを言える立場でない。そう思いつつも涙は止まらない。


「泣くな。」
「無理です。」


何とか発した短い言葉に教授は小さく溜息を吐き、ついて来なさいとだけ云って歩き始めた。私は大人しくそれに従い、服の袖で涙を拭いながら後を追った。

久しぶりに訪れた教授の自室は休暇前と何も変わらない。テーブルを真ん中に挟んで椅子が二つ向かい合っているのも、床に置かれたままのたくさんの本も、棚に並べられた薬瓶も、なにもかも同じだ。椅子に座るやっと落ち着いた私に教授は紅茶を入れてくれた。


「ハーブティー、珍しいですね。」
「それが今のお前に一番良い。」


向かい座っているき教授は私をじっと見ているので、居心地の悪さを感じながらも温かい紅茶を飲む。やっぱり教授の淹れる紅茶が一番美味しい。


「私の様子がおかしいと言ったな。」
「言いましたね。」
「どうおかしい。」
「どうって、教授らしくないことばかり仰るから。」
「私らしくないだと。」
「教授が母と教授のお父様のことについて話すのは昨日が初めてですし、感情的になるのも滅多にありません。それに数日前に私が教授の前髪についた屑を払おうとしたときには、ひどく嫌そうな顔をしてらっしゃいました。」
「人に触れられるのが嫌いなだけだ。それに昨日のは気まぐれだ。」


この人に気まぐれがあるのか、少し驚いてしまった。計算して理性的に動いていそうな教授の口からそう云われるとますます信じられない。私のそんな気持ちが伝わったのか教授は苛立ったように勝手にしろと云って本を読み始めてしまった。教授が本を読み始めたらこちらの声は届かなくなってしまうので、何を話しても無駄である。手持ち無沙汰の私はハーブティーを飲み干し、頬杖をついて本棚に並ぶ背表紙のタイトルを眺めていたが、だんだんと睡魔が襲ってきて瞼が下りてくるのに耐えられず結局テーブルの上で組んだ腕に頭を突っ伏して眠りに落ちてしまった。