それは一夜限りのお伽話。



Bit V



長期休暇が始まってあっという間に2週間は過ぎた。三人がフランスに戻る日の前の晩に、手入れをした庭の花壇を眺めながらテラスでお母さんと二人でを飲んでいた。お母さんの淹れる紅茶は相変わらず渋みが強い。

「お母さんに聞きたかったことがあるの。どうして、スネイプ教授のお父様を好きになったの。」

私の唐突な問いに微動だにせず、むしろ私がその問いを投げかけるのを最初から分かっていたかのようだった。静かにカップを置いて、頬杖をついてお母さんは小さく息を吐いた。

「好きになったか、ね。私も長い間考えてたわ。どうしてあの人を好きになったのか。」

そうしてお母さんはゆっくりと昔話を紡ぎ始めた。



学校を卒業して、私は私の母がそうしたように当時の名家の使用人として働き始めたの。私も意外と使用人の仕事が気に入ってた。お屋敷の掃除をしたり、庭の手入れをしたりね。セブルスは卒業後、実家には全く寄り付かなかったから、お屋敷で会うことは一度もなかった。だから、私も彼の生家で働いているという気もしなかったわ。もしかしたら、それも理由のひとつかもしれない。自分の同級生の父親に憧れるなんて奇特なことをしたのは。




「君がティナス・サンビタリアか。」


初めて彼に話しかけられたのは、働き始めて2ヶ月経った頃だった。セブルスとそっくりの声で、黒い髪に黒い瞳、ただセブルスとは違って、彼は笑みを浮かべていた。


「息子から君の話を聞いた。同級生だったようだな。」


その日以来、庭の花壇の手入れをする私に旦那様が質問を投げかける日が始まった。私から声をかけることは一度もなかった。私は使用人の一人で、旦那様はもちろん奥様も私の雇い主なのである。彼は笑うとき喉を鳴らして笑った。目を細めるとできる目尻の皺はお屋敷の中で見ることはない。土いじりをする私の隣に座って、節ばった皺のある長い指で土の表面を撫でながら、私の話に耳を傾けていた。
奥様が亡くなったときには、彼は私の前だけで泣いていた。床にしゃがみこんで嗚咽を漏らし微かに揺れる彼の肩を私は抱きしめた。私はね、奥様のことを愛している彼が好きだったのよ。厳しくて、暴力的に振舞ってばかりだったけれど、彼は心の底から奥様を愛していたの。セブルスに必要以上に冷たく当たったのも、奥様の愛情が息子に注ぎ込まれていくのが恐ろしかったから。そう言いながら私を強く抱きしめる彼が愛しかった。


「とても弱い人だったの。弱くて、優しすぎて、不器用な人。」
「いつの間にかお互いに好きになっていたのね。」
「少なくとも私は初めて旦那様に話しかけられたときからもう好きになっていたわ。」


頬杖をついてはにかんだお母さんは、変な言い方かもしれないけれど、まるで少女のようだった。お母さんとスネイプ教授のお父様の関係はとても辛いものだと思うのだが、お母さんの話しぶりからして彼女はそれを辛い思い出として受け止めてないようだった。


「彼も私を愛してくれていたわ。でもねやっぱりそれ以上に彼は奥様を愛していた。だから私は彼に別れを告げたんだもの。私はどう足掻いても子供だった。」


お屋敷を出て直ぐに、私の母が病気で亡くなった。悲しみに打ちひしがれる暇もなく、旦那様の訃報が届いた。まさかと思ったわ。私が別れを告げた頃にはもう既に病に侵されていたらしい。彼はそんなこと一言も言わずに、最後に額にキスを落として、さよならじゃなくておやすみ、そう言って別れたんだもの。


「そんな時にお父さんに出会ったの?」
「お父さんにはお屋敷に勤めていたときに既に出会ってたわ。」


奥様のお遣いで魔法省に出かけたときに、広い建物の中でランタナは迷子になってたの。何度も私の横を行ったり来たりする彼に私から声をかけて、彼は少しリズムの違う英語で私に笑いかけた。私の母が亡くなったという話をどこからか聞きつけた彼が血相変えて私に会いに来た日のことを今でも覚えているわ。その日からランタナは何度か私に会いにくるようになったの。


「お母さんはお父さんに旦那様とのことは話したの?」
「私から言わなくても気づいたみたい。」
「お父さんって意外と鋭いのね。」


旦那様が亡くなった晩はランタナがずっと寄り添ってくれていた。そのときにまさかお腹の中に貴女がいるなんて思ってもなかったわ。それを告げた日にね、ランタナがお腹に手を当てて言ったの、僕を父親にならせてくれないか、って。


「こうやって過去を振り返ってみるとどうして私が貴女にあんな酷いことを言えたのか、恐ろしいわ、不思議でたまらないの。」
「その理由も、もし聞けるなら聞きたい。」
「あの日はね、突然お母様から手紙が届いて。」
「お婆様から?」
「もともと私とランタナが結婚するのに反対していたお母様が私に手紙を送るなんて滅多にないことだから何事かと思ったわ。」


内容は至って簡潔だった。どこから私の過去の話を聞いたのかは知らないけれど、貴女が実はラン多との子供ではないことが分かったからには、貴女をの家に置いておくわけにはいかない。けれど一番悪いのはお母様を騙していた私でしょう、貴女は何も悪くないのに。私はランタナと可愛い娘二人と一緒に笑いながら過ごす毎日がとても大切で幸せだった。その幸せをどうしても壊したくなかった。貴女をの籍から外して二度と会えないようなことになるなんて考えたくもなかった。私は私が一番可愛かったから、あんな間違いを犯したの。


「お婆様はとても厳格な人だったからそう言うのも想像できるわ。」
「お母様が亡くなった後、私宛に手紙があったの。当主としての家を守るために生きてきた。だから貴女が私にしたことは許しはしない。けれど貴女も私を許さなくていい。私は母親として一番してはいけないことを貴女にさせようとしたのだから。そんな手紙を残されたら、私も何も言えないわ。」


すっかり冷めてしまった紅茶を一口飲んで、眉をしかめたお母さんは小さく溜息を吐いた。


「駄目ね、やっぱり紅茶を淹れるのは苦手よ。」
「冷めたから苦味がでてるのかも。」
「そうかしら。」
「そうよ。あ、お母さん。」
「どうしたの。」
「ありがとう。」


今日聞いたことはきっとこの先忘れることはないだろう。昼間の暑さが嘘のように涼しい風が頬を撫ぜる。夜空を見上げながら、明日からの一人きりの生活を思い浮かべた。