Bit U



「お待たせしてしまい申し訳ありません、お久しぶりですダンブルドア校長。」


校長室に戻ると、既にお父さんとセシィがソファに座っていた。二人の傍に駆け寄ると、セシィが私の腕に飛びついてきた。校長の一言で、私とお母さんも座る。先程とは違うティーセットに、ジャスミンが淹れられていた。


「突然の訪問を快く承諾してくださって有難うございました。」
「気にするでない、それより久しぶりのホグワーツはどうかの。」
「ええ、凄く懐かしいです。校長もお元気のようで何よりです。」
「此処は日々変わっているが、変わらないものもある、ティナス、君が卒業して長い年月が経つが同じものを君に見せてくれるだろう。せっかくの機会だ四人でゆっくり見て回るといい。」


ダンブルドア校長の提案に頷くと、はしゃぐセシィに腕を引っ張られながら校長室を出て行く。後からお母さんとお父さんがやって来る。静かな校舎にセシィの声が良く響く。彼女の次々と出てくる疑問に答えながら、暴れ柳の見える廊下で足を止めて、後を振り返った。


「突然だったけど、どうしたの。」
「今年の夏はイギリスで過ごそうと思ってね。」
「前の家はまだあるんだっけ。」
「そのまま残しているよ、こちらに来る途中に寄って来たけど割と綺麗だった。」
「いつまでいるの?お父さんも仕事があるでしょ?」
「そうだね、とりあえずイギリスには二週間はいると思う。あと一週間の休みはフランスで過ごすさ。」


お父さんはフランスの魔法省に勤めていて、所属している部署は時間の不規則な仕事が多い。長期休暇の間も多くはないが仕事が入るため、長くいられないと思っていたが、二週間なら良いほうだ。以前イギリスに居たときに住んでいた家も残していたようなので、家に着いたらきっと荒れているであろう花壇の手入れをしようと思った。


「二週間か、皆もお父さんと一緒にフランスに戻るのよね。」
「セシィも友達とサマーキャンプに参加するし、お父さんは紅茶しか美味く淹れれないから心配だわ。」
「そう、なら私は夏休み中、此処に居てもいいかしら。」


私の提案に二人は目を丸くした。セシィも不満そうに私の名前を呼ぶ。


「久しぶりに二人でゆっくりしたらどう?」
「久しぶりって、君たち二人は学校の寮にいるし、いつも二人でゆっくりしていたよ。」
「お父さんは分かってないわ、休暇以外は仕事で家を空けてばかりでしょ。たまには良いじゃない、私は二週間みんなといれれば充分。頻繁に会えないくらいが恋しくて丁度良いのよ。」


そう笑うと、二人は困ったように顔を合わせた。実際、無茶を云っていることは良く分かっている。フランスに戻って皆で過ごせるのはとても魅力的だ。けれど、私がそう望むのにも理由があるのだ。休暇が明けて進級すると私は最高学年になる。一年なんてあっという間だ。あと一年経てばまた私はフランスに戻り、きっとフランスで何かしら職に就いてそこで生活をしていくのだろう。そう考えたら、慣れ親しんだイギリスという地に出来るだけ長くいたいという気持ちが強くなった。


「そうね、それじゃあの言うとおりにしましょうか。」
「ちょっと、ティナス!」
「良いじゃない、ランタナに比べたらは家事だってできるし、心配ないわ。」
「分かった、分かったよ。」


お父さんは困ったように笑い、私を見た。二人とも私の気持ちを言わずとも分かってくれたのかもしれない。先を急かすセシィの声に返事をして、暴れ柳を見送った。



ホグワーツを出る頃には空は夕焼け色になっていた。グラデーションが綺麗な空に星がいくつか瞬いてる。夕方になると少し肌寒い。マクゴナガル先生に挨拶をするからと三人には先に校長室に行ってもらった。マクゴナガル先生は執務室にいたので直ぐに会えた。簡単に言葉を交わし別れ、小走りで廊下の角を曲がる。階段を上がればあと少しというとこなのに、なかなか階段が止まってくれない。もどかしくて違う道で行こうと勢い良く振り返った瞬間、何かにぶつかった。


「周りを見ろ、注意力が欠けているにも程がある。」
「スネイプ教授!」


私がぶつかったのは今まさに私が会いに行こうとしていた教授だった。


「まだ帰っていなかったのか。」
「もう出るところなんです。でも行く前に挨拶をしに行きたくて。」
「面倒な奴だ。早く行け。」
「教授から来てくださったので挨拶も早く済みそうですけど。」


教授は面食らった表情をした。どうやら彼は私が今から他の誰かのもとへ行くところだと思っていたらしい。教授に挨拶を、と云えばいつも通り眉間に皺をよせる。これにはもう慣れてしまったので何も思わない。


「フランスには戻らず、家族とイギリスにある家で過ごすことになりました。」
「ティナスの実家はこちらにはもう無いだろう。」
「良く知ってますね、びっくりしました。」
「彼女がサンビタリア家の一人娘で、早くに両親を亡くしていることは学生時代に本人から聞いた。」
「なるほど。以前イギリスにいた時に住んでいた家がまだあるので、そこに行くんです。」
「休暇中はずっとイギリスにいるのか。」


校長室の方向へ足を向けた教授の後を追うように小走りで隣につく。教授と私の足音だけが廊下に響いている。昼間のうだるような暑さとは正反対に、心地よい風が頬を撫ぜる。


「いえ、二週間だけこちらに滞在して、三人はフランスに戻ります。」


ぴたり、教授の足音が消え、私も足を止めた。一歩後ろにいる教授は私を見ている。窓から差し込む夕焼けの逆光のせいで、表情が良く分からない。それでも教授が今何を考えているのか分かるような気がした。


「私は休暇中はイギリスに残るんです。あ、これは私から言ったことですよ。でも別に家族と一緒に居づらいとそういうのじゃなくて、ただ少しでも長くイギリスにいたいな、って思って。」
「ティナスはそれに了承を?」
「はい、母も父も納得してくれました。」
「お前は、」


教授が何か言おうとして、強い風が吹いた。手で髪を押さえながら、頭を少し下げる。黒いローブが激しく波打つのが視界の隅に映った。ぐちゃぐちゃになった髪を手櫛で整える。教授の言いかけた言葉の続きを待ったが、彼は何も言わず再び歩き出した。


「え、あの、教授?」


声を掛けても返事は返ってこない。隣から少し様子を窺ったがいつも通りの無表情。私の方は見向きもせず、ただ前を見ている。教授は何を言おうとしたのだろう。見当もつかないが、この様子ではもう一度聞いても何も答えてくれないだろう。私も静かに彼の隣を歩いた。


校長室の前に着いて、スネイプ教授が合言葉を言うとガーゴイルが動き始める。教授のほうを向くと目が合った。最後にもう一度挨拶でもしようかと口を開くよりも先に、低く響く声で名前を呼ばれた。


「今のこの状態が貴様にとって当たり前だと思え。」


黒い目が真っ直ぐ私を見る。黒い髪は窓から入ってくる風に揺れている。教授の声が耳に沈む。


「今までの出来事は白昼夢のようなものだとでも思えばいい。」
「教授、」
「良い休暇を。」


教授は踵を返した。彼の言葉を頭の中で何度も繰り返す。振り返り、喉まで出かかっている何と言えばいいのか分からない感情を一生懸命言葉にしようと焦る気持ちを落ち着かせる。

この状態が当たり前だという、今までのことは夢なのだという。

本当にそれで良いのだろうか。確かに今の私は幸せだ。だけど教授が言ったことは何か、何かが違う。


「あ、あの、教授!」

「確かに、この状況が一般的には当たり前で今までのことは変わった出来事だったと思います。それでも、私忘れたいとは思わないんです。すごく辛くて悲しかったけれど、良かったと、今では思います。」
「良かった、だと。」
「それが何故かは曖昧で、はっきりとした理由を言えなくて、でも、良かったと。だって、そうじゃないと私は教授に出会えなかったし、教授の淹れる紅茶も飲めませんでした。そう考えたら、やっぱり良かったんです、全部、私にはなくてはならないものでした。」


捲くし立てるように云い終えて、勢いのあまり自分が言ったことが恥ずかしくなって、耳たぶが熱くなった。俯いたまま、言い訳をしようとしどろもどろしていると、溜息が聞こえた。


「お前は感情的になった途端饒舌になる。」
「す、すみません。」
「こちらが聞いてなくても、自分の感情を吐露する。」
「お恥ずかしいです。」
「分かりやすいのは良いが、正直すぎるのは自分の首を絞めることになる。」
「はい。」
「早く行け、日が暮れる。」


教授の言葉に背中を押されるように、教授に小さく会釈をして階段を上る。数段上って振り返ると、教授はまだそこにいた。


「教授も、良い休暇を。」


言い逃げるように階段を駆け上り、校長室のドアを開けた。私を待っていた家族とダンブルドア校長が息を切らしている私を不思議そうに見ている。苦笑いを浮かべながら、彼らに駆け寄り、準備のできている移動キーへと手を伸ばした。


夏休みが始まる。