近頃、夜を不思議と心地よいと感じるようになった。 それがどうしてなのかは、分かるようで、でもどこか曖昧だ。 とにかく、夜はもう怖いものではなくなっていた。 Bit T 夏の長期休暇が始まる。トランクに荷物を詰めて、今度は私も他の生徒と同様に駅へと向かう馬車に乗り込むのだ。次に此処に戻ってきたら学年が一つ上がり、そしてホグワーツに来て一年が経つ。イギリスに行くと決めた日の夜のことを思い出す。喪失感よりも混乱の方が大きくて、ただ無心に荷物を纏めた。お父さんに見せてもらった学生時代のお母さんの写真や教授の両親が写っている写真をベッドの上に並べて眺めていた。あの時の私は、悲しくて泣くことよりも、先の見えない恐怖感に襲われていた。 それも今となっては苦笑いしながら思い出せる。ここまで来るのは長いようで短かった。本来ならもっと時間がかかることなのかもしれないが、それはやはり教授がいたからだろう。彼がいなければ、私はこうやってトランクを片手に、寮の部屋の扉から出ることはなかったのだから。 「、休暇中に手紙を出すわ、パパとママとドイツに行くの。写真も一緒に入れるわね。」 「ありがとう、楽しみにしてる。」 「はフランスまでどうやって戻るの。」 「お父さんが駅まで迎えに来てるみたい、それからは移動キーだと思う。」 荷物をハグリットに乗せてもらいながら、と馬車の順番を待っていると、急ぎ足でやってきたマクゴナガル先生が私を呼び止めた。彼女は小さく咳をして、呼吸を整えると、いつも通り凛と背筋を伸ばした。 「先程、貴女のご両親から連絡がありました。直接ホグワーツまで貴女を迎えにいらっしゃるそうです。」 「両親が、ホグワーツに?」 「ですので、荷物を持って校長室へ向かいなさい、そこでご両親が来るのを待っていること、分かりましたね。」 校舎へ戻っていくマクゴナガル先生の後姿を眺めて、隣を見ると話を聞いていたも私と同様に意をつかれたような顔をしていた。と別れの挨拶を交わし、再びハグリットにトランクを取ってもらうと、私も校舎へと向かう。とても不思議な気分である。つい先程胸を躍らせて通った門の下を再びくぐり、生徒がいないせいかとても静かな廊下を一人歩く。フランスに帰れないわけではないので落ち込むことはない、というよりむしろ、お父さんとお母さんがホグワーツにやって来るということにいきなりどうしたのだろうと首を傾げた。 校長室の前のガーゴイルの前に着いたが合言葉が分からない。するとガーゴイルが突然動き始めて階段が姿を現した。きっとダンブルドア校長だろう。荷物を持ち直し階段を上った。 「すまんな、合言葉のことを忘れておった。」 「いいえ、こちらこそ両親が突然すみません。」 「構わんよ、私も久しぶりに会いたいと思っていた。」 「その、両親から今回の訪問の理由などお聞きになってませんか?」 「いや、何も。一人でイギリスにいる娘を心配に思って居ても立ってもいられなくなったかの。」 ダンブルドア校長の言葉に苦笑いをこぼして、勧められた椅子に腰をかける。校長室は以前と変わらず不思議な雰囲気だが、スネイプ教授の部屋とは違う心地よさを持っていた。向かいの椅子に校長が座り、杖を軽く振ればテーブルの上にティーセットが現れた。陶器の小さな器に入っているのはクッキーだ。 「ダージリン、」 「ダージリンは苦手だったかな。」 「いえ、ありがとうございます、頂いても?」 「クッキーも食べるといい。」 一口飲んで思わず笑みがこぼれた。そんな私の様子を見て校長は声を出して笑った。きっと彼は私が思っていることなど全てお見通しだろう。 「どうも紅茶を淹れるのが苦手でな。」 「そんなことないですよ、母が淹れるものよりは美味しいです。」 「そして、君がいつも飲んでいる紅茶の方が数倍美味しい。」 「さあ、どうでしょう。」 ダンブルドア校長は静かに私の名前を呼んだ。カップをソーサーに置いて、校長の目を真っ直ぐ見る。指輪をはめた皺のある長い指で髭を撫でながら校長は窓の外を見た。 「、君が初めて此処へやって来た日のことを覚えているか?君を見て直ぐ、君の母親を思い出した。ティナス・サンビタリアは一風変わった生徒で私も良く覚えていた。スリザリンらしくない明るい生徒。変わり者同士二人で良く図書館にいるのを見かけた。」 「二人?」 「セブルスだ。同級生だということは君も知っているだろう。」 「あの、母が教授の実家で使用人をしていことは。」 「もちろん知っておる。彼女自身から聞いた、フランスの名家の息子と結婚して君が生まれたという話も。」 「昔は名家でも、今は至って普通ですよ。私がお嬢様みたいに見えますか?」 そう云うと校長は小さく笑った。優しい彼の笑みを浮かべた顔を見ながら、もしかしたら彼は全てを知っているのかもしれないと思った。突然ホグワーツに転校してきた卒業生の子供、やはり疑問に思うことはあるだろう。それに話を聞いていたらお母さんのことを良く知っているようだ。 けれどそれでも別に構わない。むしろダンブルドア校長は何も言わず、聞かず静かに私を見てくれていたのだろうから、感謝すべきなのだ。彼が今私にこうやってお母さんの話をするのは、私のなかで気持ちの整理がついたことを知っているから。 「さて、もうそろそろ来る頃かの。」 「あ、表を見てきます。」 紅茶のお礼を云って校長室を後にする。人が誰もいないのを良いことに、廊下の真ん中を歩く。二人がいないか見ていた窓の外に気を取られ、前を見ていなかった。まだエントラスから遠いし此処からでは姿を確認することはできないだろうと前を向くと、黒いローブを風にはためかせながらスネイプ教授が立っていた。 「、ここで何をしている。」 デジャヴ。 初めて教授に会ったときと同じだった。全身に黒を纏う彼は初めて会った日から何も変わっていない。だというのに、あの時とき受けた印象は今となっては全く違うものになっている。 「返事をしたらどうだ。」 「あ、すみません。」 「前回もそうだったが、お前は前を見て歩けないのか。」 「前回?」 「ホグワーツにやって来たばかり頃、今日と同じように前を見ないでふらふらと歩いていただろう。」 教授も私と同じことを思い出していたことに思わず笑みがこぼれた。すると教授は怪訝そうに眉間に皺を寄せたが、直ぐに呆れたように溜息を吐いた。 「もう一度聞いてやる、何をしている。出発の時刻は当に過ぎているが。」 「はい、突然なのですが、なんと、」 すると目の前の教授の視線がゆっくりと上がっていく。珍しく驚いたような顔をする教授の視線の先を追うように私は振り返った。 廊下にカツン、という教授の足音とはまた違う、華奢な音が響く。逆光で最初は良く見えなかった輪郭が、こちらに近づくにつれだんだんと見え始めた。 「まあ、久しぶりね、セブルス。」 聞き慣れた声がして、足音は私たちの近くで止まった。長い髪を片方で束ねて、淡い水色の丈の長いワンピースに身を包んだお母さんは、スネイプ教授に笑みをむける。 「お母さん、私が迎えに行こうと思ってたのに。」 「ごめんなさい、本当は少し前に着いてたのよ。懐かしくなって校舎を見ながら遠回りして校長室に行こうと思って。それにしても何も変わってないわ、ねえセブルス。」 お母さんに話しかけられた教授は、直ぐに視線を逸らした。教授が視線を下げたことで必然的に私と目が合う。教授の様子はいつもとは違うが、お母さんが突然来たから当然だろう。 「それは結構。早く校長室へ行ったらどうだ。」 そう云うと教授は踵を返し背を向けた。あ、と呼び止めようとしたが、何と話しかけて良いのか分からず結局喉まで出ていた彼の名前を引っ込めた。 「セブルスの言う通りね、さあ行きましょう。」 待たせてごめんなさいね、お母さんは歩き始める。私も頷いて後を追うが、教授が気になって振り返った、しかし教授の姿はもうそこには無かった。 <|◇|> Bit第四章開始 |