涙が頬を伝う生ぬるい現実的な温かさだけしか分からない。



Bit X



フランス行きの列車に乗り込んであっという間に我が家の門の前に着いた。ひどく懐かしく感じる。


「まさか、こんなに早いうちに此処に帰ってくるなんて」


小さく深呼吸をして、一歩足を踏み出すと門は開く。入って直ぐ、聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。


!」


黒いワンピースの上に黒いファーのボレロを着たセシィが駆け寄ってくる。私と同じ黒い髪を高い位置で一つにまとめていた。


「久しぶりね、元気にしてた?」
「ええ、でもが居なくて退屈だったわ」


私より幾分身長の低いセシィが私の右腕に抱きついて離れようとせず、私は苦笑いしながら、玄関へと足を進めた。玄関のドアノブは私が握ろうとする前に、先に音を立て開いた。心臓が激しく脈打つ。

正直、門の前に立っていたときから、緊張と不安で一杯だったのだ。私が此処に戻ってきて良かったのか、あんな別れ方をした母と父に、どんな顔をして会えば良いのか。


「おかえり、


扉の向こうには、以前と全く変わらない、優しい笑顔を浮かべたお父さんが立っていた。右腕にしがみついていたセシィは私の荷物を二階の部屋に運ぶようにお父さんに言われ、階段を駆け上っていく。私は一向に家の中に入ることができないまま、ただお父さんの顔を見た。


?」
「あ、えっと、」
「どうしたんだい、そんなに畏まって」
「ただいま、お父さん」


もう一度、けれど先程よりももっと優しく穏やかにお父さんは「おかえり、」と微笑んだ。
ああ、私は帰ってきて良かったのだと、やっと実感して、思わず泣きそうになるのを抑えて、家の中へと入った。二階から降りてきたセシィは私の喪服を片手に持っていて、着替えるように私をバスルームへと連れて行く。どうやら髪型を同じにしたいらしく、片手には彼女の髪を結っている物と同じリボンが握られていた。



着替え終わると、一旦私は自分の部屋に戻った。鞄の中から、紙とペンを取り出して、机の上のランプに明かりを灯す。とりあえず宛名を封筒に書いて、まず何を書くか、考えた。宛名は、そう、スネイプ教授。

私に、フランスに行くよう説得してくれたのは誰でもないスネイプ教授だからだ。あの場に偶然居合わせた教授は私をダンブルドア校長のもとへ連れて行き、祖母のことを話した。ダンブルドア校長は直ぐ許可を出した上に一通りが終わるまでフランスに居ても良いとまで言って下さった。

でも、一番大きかったのは、私がマグルの列車に乗り込む寸前に付き添いとして来ていた教授の言葉だろう。

、何をそんなに怯える必要がある。お前はただ自分の家に帰るだけだ。」






「・・・確かに、その通りだわ」


手紙を書き終えた私は、梟にそれを運ばせるために家の裏庭にある梟小屋に行こうと階段を降りた。広間からは多くの人の声が聞こえる。親戚が次々にやって来ているのだろう。私は、その大勢の人達に逢わないようにそっと家を出た。


梟は薄暗い空を羽根を広げ飛んでいく。外の空気は肌寒く、肩にかけていたストールを羽織りなおして、家の中に入ろうと振り返ると、玄関に誰かが立っているのが見えた。一見、セシィに見えたが、彼女にしては背が高い。そうなると、思い浮かぶのはただ一人。


私の足は足枷をつけられたかのように動かなくなり、世界の音は一瞬にして遮断された。


黒い長い髪は片方で結われ、その髪の色と同じワンピースを着ているのは、誰でもない、私が会うことを一番戸惑った、母だ。

どうすればいいのだろう。今この状況で笑顔を作ることは無理だ。かといって、逃げ出すことも出来ない。ただ立ち尽くすだけ。こんな時に、結局何もできない自分がひどく歯痒い。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう)

どんな顔をして会えば良い?どんな言葉をかければ良い?
お母さんは返事を返してくれるだろうか?あの瞳に嫌悪の色を浮かべないだろうか?

(怖い、怖い、怖い、怖い、怖い)

あの日の光景が蘇る、お母さんのあの言葉が頭で繰り返される。

「貴女を もう 愛せない」




気がつくと、頬に涙が伝っていた。視界はだんだんと歪んでいき、終いにはぼやけて何も見えなくなってしまった。
ああ、私は泣いているのか。
頭の隅の冷静な自分が、そう言う。

玄関のランプで映し出される人影は全く見えない。というよりも、もう其処に居ないのかもしれない。

両足は力を失ったように地面に崩れ、私は座り込んで両手で顔を覆った。


(どうしよう、怖い、何が? 全てが。)
(でも、でも?)
(それでも)


(愛しているのよ、だって私のたった一人の母親なんだもの。)



一度流れ出した涙はとまることを知らず、薄いストールには染みがいくつもできた。けれどそれを気にかける余裕など今の私はない。そんな私の肩に何かが触れ、疑問に思い、顔を覆っていた両手を離した。顔を上げようとすると、それは制止され、私は自分の体がどれほど温かさを失っていたのか、実感した。


懐かしい香水の匂いと、心地よい体温に私は包まれる。

驚いて一瞬とまった涙は、もう一度、頬を伝って、今度は声を出して泣いた。



「おかえりなさい、



耳元で久しぶりに聞くお母さんの声にひどく懐かしさを感じた。