夕闇にのまれる街に
追悼の鐘はまだ鳴らない



Bit W



手紙を読んだ後、ただ呆然と立ち竦む私に教授は自分の後についてくるように言ったが、如何せん、その時の私は混乱していて、教授の言葉など聞こえていなかった。ホグワーツの長い廊下を教授に腕を掴まれ引っ張られるように歩いて、いつ校長室に着いたのか全く分からなかった。


、これを飲んで落ち着きなさい」


向かいのソファに座ったダンブルドア校長からハーブティーを受け取る。校長は優しい笑みを浮かべていて、私は朦朧とした意識から目が覚めたような気がすると、思わず涙が出た。そんな私を見てか、教授が私の代わりに事の内容を話し始めた。


「彼女のフランスの祖母が昨夜亡くなったそうです」
家のご当主の母上のことは私もよく存じている。非常に優れた魔女だった」


校長は後ろに立っている教授の方を向いている。私の方まで二人の会話は聴こえなかったので何を話しているのかは分からない。ハーブティーをもう一口飲むと、先ほどまでの行き場の無い焦燥感と不安が和らいだ。


、君は今すぐイギリスを発って、フランスの君の家に戻りなさい」
「本当に、宜しいのですか」
「当たり前だ。さあ早く準備をしてきなさい。セブルスを駅まで君に付き添わせよう」


その言葉に驚いて思わず教授を見ると、黒い瞳が早くしろと言っているように思えた。校長にもう一度お礼を言って教授と一緒に校長室を出た。教授は私に準備をしたら大広間に来るように言うと自分の部屋の方へ歩いていった。私も急いで寮に戻る。

に概ねを伝えて荷物の入ったトランクと制服の上にコートを着て大広間に行くと、教授はもう来ていた。


「すみません、遅くなりました」
「行くぞ」


当然と言えば当然だが教授はいつもの黒い服だ。違っているところと言えばローブを羽織っていないことだろう、それ以外は何の変わりもない。そんな教授の斜め後ろを遅れないように歩いた。
駅までどう行くのだろうと不思議に思っているとまた校長室に着いた。大人しく教授の後に着いて中に入る。ダンブルドア校長がアンティーク調のブックシェルフの前に立っていた。


「君が初めてホグワーツに来た日のことを覚えているかね?」
「初めて? あ、もしかして」
「そう、移動キーは上から三段目の赤い本だ、移動先はあの家になっておる」
「ダンブルドア校長、本当にありがとうございます」
「久しぶりのフランスだ。全てが終わるまでゆっくりしてきなさい。さあお行き」


ダンブルドア校長に言われるがままに赤い本に触る。周りの家具や壁が歪み出して、体が宙に浮く感覚に襲われる。何度やってもこの感覚に慣れなくて目を瞑った瞬間、薬品の匂いがした。

(そうだ、教授が一緒だった)








周りの風景が変わり速度が急に遅くなって私は固い床に投げ飛ばされた。移動キーで着地を失敗するなんて何年ぶりだろう。私と一緒に放り投げだされたトランクを手にとって周りを見回す。私が初めてホグワーツに行く時にマクゴナガル教授と来たあの家だった。


「何をしている」


後ろから声がして振り返ると、扉の前に教授が立っていた。当たり前だが、どうやら教授は私のようにならなかったらしい。床に座り込んだままの私の腕を引っ張って立たせると、教授は早々と部屋から出て行った。


「こんなこと、前にも一度あったような気が」


そうだ、スプラウト先生の温室に居た時だ。あの時も私が椅子ごと倒れて、教授が腕を引っ張ったのだ。腕を掴む時は強引だけれど、放っておかないところが彼の意外な面だと思う。コートの埃を払って「早く来い」と怒鳴った教授の方へ急いで走った。






「ここから駅まで歩くんですか?」
「それ以外でどうやって行くという」
「そうですね」


時計の針は午後4時を指していた。空は夕日のオレンジと水色のグラデーション。オレンジと言うよりもピンクに近いかもしれない。久しぶりに歩くマグルの住宅街はどこからか子供の遊ぶ声や犬の鳴き声が聞こえてくる。


「こうやって歩いていると世界は何一つ変わっていないことに気付かされます」
「何を言い出すかと思えばまた下らんことを」
「そうかもしれません。でも明日は来るんですよね。」
「当たり前だ」
「何も変わってないように見えても、決して同じじゃないから、不思議です」


トランクを持ち直して空を見上げた。夕暮れの空の下を教授と一緒に歩くのはこれで二回目だ。こうやって教授が歩くのが早くて遅れないようにするのも全く同じ。スリザリンでもない私が教授と居ることが本当に不思議だ。まして最初はあんなに恐れていたのに。

(でも、逆に、あのことがあったからこうやっていられるのかもしれない)

そう思って教授の方を見た。改めて考えると、この人と私が半分ではあるが血の繋がりがあることに本当に驚きを覚えずにはいられない。私はこの人ほど聡明ではないし、なんというか重々しくもない。教授が纏う雰囲気と私のそれが似ても似つかないのは、育ってきた環境と、年齢自体が離れているせいなのだろう。それでもやはり不思議だ。


「何だ」
「え?」
「いきなり黙り込んで、あんなに五月蝿くぺらぺらと話していたと言うのに」


教授が歩く早さを遅くしたのが分かった。教授の隣を歩きながら、思わず苦笑いをこぼす。


「正直に言えば、フランスに帰るのは凄く怖いんです。お母さんと一度も連絡を取ってませんし、私が居ない間に何か変わっていたらどうしようかと」
「お前がつい先程言っていたことに矛盾が生じるが」
「矛盾、ですか?」
「お前からしてみれば世界は何一つ変わっていないのだろう」


そうだ。私が思っているよりも世界は大きな変貌など遂げていない。私がこんなに不安を感じているのは、自分だけが取り残されているという疎外感と孤独感が恐ろしいから。あの雨が降る日、温室の中で教授からお母さんの話を聞いた日、決めたというのに、信じようと、私を取り巻くもの全てを信じて、もう恐れないと。


「私は、帰っても良いのでしょうか」


そうこう言っているうちに気がつくと駅に着いていた。お父さんが手紙に乗車券を予め同封してくれていたので直ぐにホームへと行ける。タイミングよく列車が入ってきた。胸が言いようもないほど重く苦しいのはきっとまだ消えない不安のせい。ドアが開くのと同時に乗客が出てくる。私は隣に居る教授の方を向いた。


「スネイプ教授、此処までわざわざ有難う御座いました」
「ああ」
「ダンブルドア校長にももう一度私がお礼を言っていたと伝えてくださいませんか。それでは、失礼します」


列車に乗り込もうとした丁度そのとき、後ろから教授が私を呼んだ。もう一度振り返って教授を見る。発車のベルがホームに鳴り響く。教授は一歩足を前に進めた。


、何をそんなに怯える必要がある。お前はただ自分の家に帰るだけだ。」





ドアが閉まると同時に私は慌てて窓に手をつけて何か言うわけもなく、ただ教授の顔を見た。教授はそんな私の姿を見て嘲るように小さく笑って、踵を返しホームを去った。



列車が動き始める。






一寸の闇を拭い捨てて。