Bit U



店の主人と話している教授の後ろで、ガラスのショーケースに並べられた薬草や薬品の入った瓶を眺めている。瓶に貼られたラベルを読んでも、一体何の薬品なのか全く分からない。けれど教授はあっという間にお目当ての薬草や薬品を選んだ。それでもやっぱり足りない薬草類があるらしい。


「教授、次のお店に行きますか?」
「いや、今日はもう良い。帰るぞ」


窓の外に目をやった教授を見ながら、薬草と薬品が入った袋を受け取った。本当に荷物持ちをさせるとは。いや、それが目的で教授は私を連れてきたのだけれど、教授のことだから大事な物は自分で持つんだとばかり思っていた。

前を歩く教授を見失ってしまわないように急いで追いかける。この人は他人に絶対合わせたりしないから、私は此処に来るまでに何度もはぐれそうになったのだ。空も薄紅色になりだすこの時間、教授を見失ってしまったら、汽車に遅れてしまう。


「あ、すみません」


家路を急ぐ人々の中を早歩きで進んでいたから、さっきからぶつかってばっかりだ。そんな私に気付いたのか、教授は歩む足を止め私が人込みを抜けるまで、待ってくれていた。人込みを抜ければ、辺りは一瞬にして静まり返って、何処からか時計の鐘が鳴る音が聴こえてきた。そして教授はまた歩き出す。私も今までと同じように早歩きでその姿を追いかけた。







ホグワーツに着いて直ぐ、教授は自室へと戻り、私は温室に置いたままの本を取りに戻った。空はホグズミードから帰って来たときには既に薄紅色から二藍のグラデーションに変わり、星も姿を現しだした。温室の中では夜しか咲かない花々が蕾を開き、昼間とは違う香りでいっぱいになる。


「夕食までにはまだ時間はあるし。もう少し此処に居てもいいわよね」


時計と本を交互に見て、椅子に座った。後3ページ、それを読み終えたら走って大広間に行けば夕食には間に合う。返却日は明日だったから、今日中に読み終えて明日には宿題を終わらせないと。休暇は残り3日しかない。


(・・・ああ、そうだ。後3日経てばに会える。寮も賑やかになる)


一人は寂しい。ここ数週間で私はそれを痛感した。賑やかだった寮が静かになった途端、取り残された焦燥感と虚しさが全身を襲う。誰だって一人に直ぐ慣れるなんて出来ない。そして未だに私は慣れていないのだ。


「早く3日が過ぎてくれないかしら」


本から目を離して、ガラス張りの天井から見える夜空を仰いだ。ここ数週間雨は降っていない。


「先程から独り言ばかりだな、お前は」


いつの間にか目の前にいた教授の声に驚いて、天井を見上げていた体勢のままバランスを崩し椅子ごと倒れてしまった。地面が土だった分それほど痛くはなかったけれど、教授の視線が痛い気がする。地面から背中を離し、ゆっくりと体を起こして、恐る恐る顔を上げた。


「・・・お前は一体何がしたい」
「と、特にこれといってしたかったことはないのですが」
「怪我は?」
「いえ、全然ないです」


溜め息を一つ吐き教授は私の腕を引っ張った。思いもよらぬ教授の行動に驚きつつ、よろめきながら立ち上がってもう一度教授を見たら、眉間に皺を寄せ「注意が足りん」そう言われてしまった。注意が足りない以前に、誰だって知らないうちに教授が目の前にいたら驚くに決まってる。


「教授はどうして此処へ?また薬草が無くなったんですか?」
「お前にいちいち言う必要があるのか?」
「ないとは思いますけど。ただ、こんな時間に教授が此処に来るのは珍しいなと思っただけです」
「灯りが点いていたからだ」
「え?」
「お前が言うこんな時間に、この温室に灯りが点いていることの方が珍しい。不審に思って当たり前だ」


そう言われてみればそうだ。夕食前は殆どの生徒が寮や大広間、図書室に集まっているし、スネイプ教授のように先生達も自室にいる。そんな時間帯に私用で出掛けている教師個人の温室に灯りが点いていたら、不審には思っておかしくはない。だけど、やはり何時もなら自室にいる教授が此処へ足を運ぶのは珍しい。


「教授が思っているような不審なことなど何一つありませんでしたよ」
「もしあったとしたなら真っ先にお前が疑われるがな」
「私が何かするとでも?此処に置いてある草花をどうやって薬品にするのかさえ知りもしないというのに」
「もう良い、その口を閉じろ」


指を小さく鳴らして倒れた椅子を起こし、灯りの点っていない蝋燭に火を点けその蝋燭を手に取ると教授は置くの小部屋へと入っていった。小部屋の扉の向こうが薄暗くだけれど見えて、教授が動いているのが分かる。


数十分後、小部屋から出てきた教授の手には薬品の入った瓶と古く色褪せ埃被った本があった。椅子に座り直し教授の姿を横目で見つつ、テーブルの上に置いた本を手にとって膝の上にのせた。


「本を読むなら此処ではなく寮で読め。直に夕食の時間になる」
「・・・、分かりました、そうします」


読むと言っても後3ページ。寝る前に読めばあっという間に読み終えることの出来る量だ。先に温室を出た教授に数分遅れて、温室の灯りを全て消し私も温室を出た。夜空に散らばる星たちと月明かりで照らされた校舎までの小道を随分と遅い速度で歩く。寮に戻っても暇なだけで、あの孤独を突きつけるような静けさは厭だったから、校舎に着く頃には夕食の時間になっているように歩くのだ。


ひび割れたレンガが敷き詰められた小道の上を靴の踵をわざと鳴らすように歩いてみた。この音を聞いたら教授のことを思い出してしまう。教室に入ってくるときや廊下を歩くときに響き渡る踵が鳴る音。カツ、カツ、カツ―――。教授の威厳と厳格を表しているような音。


「私が鳴らしてもただの音にしか聞こえないんだけどな」


途中止まりながら足元を見てみる。焦げ茶のローファーの爪先の上に真っ白な花びらがついていた。しゃがみこんで、それを手に取り、その体勢のまま目の位置まで持ってきたとき、焦点は白い花びらから、その後ろにある闇色のローブへと移った。


「夕食の時間を過ぎたが、お前は一体何をしている」
「スネイプ教授?」
「立て、大広間に行く」
「え、あ、あの。え?」
「意味の分からんことを言ってる暇があるのなら、いい加減立ったらどうだ。ミス・
「あ、ああ、はい」


教授の言う通り立ち上がったものの、進行方向には教授がいて、進むことは出来ない。眉間に皺を寄せ私を見下ろす教授を私は見上げた。


「教授も夕食、大広間でとるんですか?」
「寝言は寝て言うものだが」
「何でもありません、失礼しました」


ローブを翻し歩き出した教授の斜め後ろを歩きながら教授を見た。先に温室を出たはずの教授が何でこんな所にいるのだろう。


「ミス・
「はい」
「もう少し早く歩けないのか」
「あ、はい」


急いで教授が言う通りに歩く速度を上げてみたら、教授の隣へと追いついた。教授を追い越したりしないけれど、教授に遅れることもできない。何となくそういったプレッシャーがのしかかったような気がした。隣に居る教授の横顔を教授に気付かれないように見て、また足元へと視線を移す。


「あ!」


突然大きな声を出した私に驚いたのか、教授は眉間の皺を増やし、私を睨みつけた。その原因である私はというと後ろを向いて足を止めたまま、吹く風に髪を遊ばせ、小道が続く闇の向こう側へ風に連れて行かれた、先程の白い花びらの行方を一生懸命目で追っていた。


「何を見ている」
「白い花びらが飛んでいってしまって」
「・・・お前と歩いていたら数分で着く場所も倍の時間が掛かる、私は先に行く」
「あ、すみません」


溜め息を吐き歩き出した教授にワンテンポ遅れつつも私も歩き出す。確かに夕食の時間に差し掛かった頃に校舎に着こうと思っていたのに、私はまだ校舎にすら入っていなかった。


「今日は助かった」
「・・・」


先程の私の声よりも、何倍もの驚きを含んだ教授の言葉に私は目を丸くして、また足を止めた。教授は、その言葉を発した後も相変わらず踵を鳴らし歩いていく。置いていかれそうになった私は急いでその後を追いかけた。


(助かった、って・・・、もしかして荷物持ちのことかしら)


何故、今此処で、こんなタイミングでそれを言うのか、さっぱり私には分からなかったけれど、もし教授がそれを言うために、最初温室へやって来て、私よりも先に温室を出てしまったから、歩くのが遅い私の目の前にやって来て、自分のテンポに合わさせながらも一緒に校舎まで行かせたのだとしたら、これは凄いことだ、なんて一人で勝手に想像(いやこれは妄想に近いのかもしれない)してみたら、一気に顔に熱が篭った、気がした。



結局大広間に着いたのは夕食の時間から確実に5分以上は過ぎてしまっていて、途中別れた教授の夕食ももっと遅くなってしまった、と思う。


「・・・スープが冷めてる」


陶器の器に入ったスープをスプーンで掬って口へ運べば、温かかったら本当はもっと美味しかったであろうそれはとっくに冷めてしまい、オニオンとコンソメの味がやけに口に残った。


白い花びらが闇に溶けた代わりに、私は珍しい経験をしてしまったのかもしれない。なんて思う冬休み長期休暇が終わる3日前の出来事だった。






冷たい風も花びら一つで春風に変わるとしたら。