Bit X



ただ一瞬の沈黙と静寂とが混ざり合い、全てが止まった感覚に襲われた。


カップをソーサーに置くときの陶器が触れ合う音が静かに響く。その音に肩を小さく揺らして、目の前の教授へと顔を向けた。普段と何ら変わりはない、その男の姿は私の中に大きな疑問を植えつける。


「何故、母から」
「私に聞く前に読んだらどうだ」


ティナス・と見覚えのある字で綴られたそれをゆっくりと手に持つ。テーブルに置かれた紅茶は段々と温もりを失っていった。


文字を目で追っている間、苦しいくらいに鳴る心臓の鼓動が煩わしい。お母さんが手紙を送ってきた理由や、なぜ教授宛なのか、それらの疑問が、私の中に渦を作り、止まることなく回り続けていた、グルグル、グルグルと。


何で、教授に?  私じゃなくて、何で―――


最後の一行を読み終えて、唾と空気を飲み込めば喉に痛みが走った。教授の父親はすでに死んでいる。その事実に心のどこかで喜んでいる自分に、なんて悲しい人間なのだろうと、嫌悪感と罪悪感が押し寄せた。

お母さんの手紙は、教授の父親のこと、毎月お墓へと行っていること。あとは社交辞令のような内容ばかりだった、何故この手紙を教授が私に読ませたのか、その疑問を本人に聞くことは、気が引けたけれど、恐る恐る口を開いた。


「・・・、私が読んでも宜しかったのでしょうか」
「聞きたいことがある」
「聞きたいこと、ですか?」


セブルス・スネイプという人物は聡明な人だ。

いとも簡単に人の心の内を読むことが出来るし、自分を閉ざすこともできる。そうと分かっていたのに、疑問の答えを求めてしまったことに、舌打ちししたい気分だった。この人のことだからこの状況を上手く使って、私が何を知りたくて、何を知られたくないのか探り当ててしまいそうだったから。


「お前は一体どこまで知っている、何を、知っている?」


教授の目はしっかりと私を捉えて、見えない威圧感と息苦しさに私は顔を顰めた。

正直、イギリスに来てから決して送られてくることがなかったお母さんからの手紙が、私に何があったのか知らないこの男に届けられたという事実が気に食わなかった。それが私の我が儘だということも分かっているのだ。けれど、今まで私が必死に隠してきたことを探ろうとする男が憎く感じられた、それと一緒に、羨ましく、また悲しくも。


「私が何を知っていると仰るのですか」
「その様子では何か知っているのだろう、下らん意地を張るな」
「意地など張っていません。貴方様の方こそ何をそう知りたがっているのですか」


わざと、わざと厭味に、飄々とした態度で返事を返せば、ガタンと音を立て教授が席を立つ。その様子を気にする素振りを見せずに、背筋を伸ばして私は教授を見据えた。目の前の威圧に押し潰されないように。


ねえ、お願い。
どうか、この平穏を、私の大切な居場所を崩そうとしないで


「お前は母親と違って、随分と口が達者なようだな」
「事実を述べたまでです。私は何も知りませんし、意地を張っているわけでもない」
「なら、何故そう喧嘩腰になる必要がある、親子揃って感情を抑えきれないのか」


母親とは違って、親子揃って、教授が言っているのは、全て昔のお母さんのこと。彼の記憶の中にいるのはティナス・サンビタリアであって、私が知るティナス・ではない。母親としてのティナスは彼の中にいないのだ。だから当然、教授の記憶の中のティナスを私は知らない。


「とにかく教授にお話できることはありません。 怪我の痛みもひいたので失礼します」


ゆっくりと席を立って歩き出せば、突然動き出したために膝の傷がズキリと痛んだ。「待て」、そう低い声が背後から聞こえたけれど足を止めるわけもなく、扉の前へ着いたとき、背中に冷たい感触と小さな痛みが走った。


それよりも、ずっと痛かったのは強く掴まれた左腕の手首


「サンビタリアが何を私に言わないのか、お前は知っているはずだ」
「手を、離してください」
「あの手紙を読んで分かっただろう。彼女は私の父のことを今でも愛している」
「嘘に決まってます、そんなの」


お母さんがまだ教授の父親を愛している?そんなことあるわけがない。私がいい証拠だ。教授の父親との間に出来た子だったから言われたんだ。


「母は、私を愛せないと言いました、もう、愛せないと・・・っ!」
「それが何だ、一体何に関係している」
「まだ愛しているというなら、私は何のためにお母さんにっ」


何故お母さんは、あんなにも怯えた様子で、私を拒絶して、謝ったのだ。

ホグワーツに来て、また再び訪れた平穏で温かい日々を壊すまいと、教授に何も知られないように、周りに何も知られないようにしていたのに。まさかこんなに早く崩れてしまうなんて思いもしなかった。


何で、教授、貴方が壊してしまうのですか




「Mr.スネイプ・・・いえ」







「初めまして、お兄様」


厭味で皮肉な笑顔は、自分でも怖いくらいすんなりと作ることができた。