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片手に持っているのはハッフルパフ6年生全員分の魔法薬学のレポート。そう、誰が持って行くか決めるためのゲームで、私は運悪く負けてしまったのだ。ゲームのルールはシンプル、きったトランプをばら撒いてその中から一枚だけ取る。そのカードがジョーカーだったら負け、私のカードはピエロが不気味に笑っていた。


足音を響かせて歩いているつもりはないのに、地下へと続く階段は足音が響く。廊下とは違って冷たい空気で覆われた教授の自室の扉の前でノックを控えめに2回。ゆっくりと開かれた扉の向こうにスネイプ教授は立っていた。


「今日提出のレポートを持ってきたのですが」


教授の姿を目で捉えて無意識に羊皮紙を持つ手に力が入った。一体何に対して緊張しているのか自分でも良く分からないのだが、その原因は目の前にいるこの男にあることだけは分かった、もしかすれば緊張とは違ったある一種の恐怖と不安が混ざり合った感情なのかもしれない。


「珍しく早いな。  ああ、待て 其処にいろ」


レポートを受け取って扉を開けたまま部屋の隅へと向かう教授を目で追った。部屋の中は殺伐としていて、微かに匂う薬品の匂いが鼻を突く。本棚には所狭しと本が並べられ入りきれてないようだ。数冊、床に重ねられている。


「寮に戻ったら全員に渡しておけ」


渡されたのは先週提出したレポート、一番上に置かれた羊皮紙には、至るところを赤いインクで書き直されたレポートがあった。


「明日は通常通り魔法薬学の授業は行われる、くれぐれも間違えることのないよう」
「分かりました」


軽く頭を下げて寮に戻ろうと階段の方を向くと、後ろから扉が閉まる音がした。カツカツと足音を響かせて、申し訳程度に光る、壁にかけられたランプの薄明かりだけを頼りに、早く廊下に出ようと階段を上る足を速めた。此処の空気だけ異様に寒く感じる。ふと自分の足音とは違う音が聞こえて、躓かないように足元を見ていた顔を上げた瞬間、目の前を大きい一羽の梟が羽音を鳴らして飛んできた。


「・・・わ、」


大きな羽根を広げて飛んできた梟を避ける暇もなく、階段を踏み外す。目の前は一転して、目を瞑った瞬間、背中や腕に痛みが走った。梟は飛ぶのを邪魔した私に恨めしそうに一声鳴いて扉の前へと優雅に降り立つ。

石の床に打ちつけられた身体を重々しく起こせば、背中の痛みが少しだけ増して、腕は長袖を着ていたから多分傷は少ないけれど血が出ているのが分かった。


「・・・何をしている」


低い声が頭上から聞こえて、振り返り顔を上げれば教授が扉を開けて立っていた。きっと落ちた時の音に気付いて出てきたのだろう、梟は先程と打って変わって、丁寧に教授へ手紙を渡すと羽を広げて去っていく。あの豹変ぶりからして、スリザリン専用の梟かもしれない。


「すみません、階段を踏み外してしまって」


辺りに散らばった羊皮紙を集めようと床に座り込んでいた体を上げる。案の定、至る所に痛みが走って、足の膝も擦り剥いているのに気がついた。

一番近くにあった羊皮紙を拾おうとする前にスッと独りでに浮び、あっという間に散らばった羊皮紙は綺麗に纏まった。教授を見上げれば杖を片手に持っている。どうやら教授がやってくれたらしい。


「入れ」
「・・・はい?」
「入れと言っているのだ」


部屋へと戻る教授を、唖然と見ていたら、睨むようにこちらを振り返って 「その状態で寮に帰るつもりか」 と先程より低い声が降ってきた。


「・・・失礼します」


教授を一瞥すれば「そこの椅子に座っていろ」と言われたので大人しく座る。膝から流れる血をハンカチで拭えば紺色の上に黒い染みができた。


「随分と派手に踏み外したようだな」


床に置かれたトレイの中にはガーゼと包帯、薬品が入っていた。教授が薬をガーゼに染みこませれば独特の匂いがしてくる。その光景をぼーっと見ていると教授と目が合った。


「膝以外に怪我をした箇所は?」
「腕に、それ以外はないです」
「袖を上げろ」


シャツの袖を肘の腕まで上げれば空気に晒された傷がズキリと痛んだ。それに顔を顰めていたら教授は「大袈裟だ」と鼻で笑ってガーゼを押し付けた。怪我をしたのは一体何年ぶりだろう、薬が凍みる痛さにまた顔を顰める。

傷の上にガーゼが置かれ、フェルーラで包帯が巻かれる。その作業を怪我の分だけ繰り返して、全て終わると両膝両肘に包帯が巻かれていた。しかも全てあのスネイプ教授がしてくれたのだから驚きだ。


「ご迷惑お掛けしてしまって、すみません」
「全くだ。 まあいい、痛みがひくまで座っていろ」


元通りの場所に仕舞われた薬品等を確認して教授は向かい側の椅子に座り、梟が持って来た手紙を見て、私を一瞥し今度は奥の部屋へと顔を向ける。教授がゆっくりと杖を振って呪文を呟けば静かにティーポットとカップが現れた。

テーブルの上に小さな音を立て降りたカップにポットからお茶が注がれる。まるで三月兎と帽子屋のお茶会みたいだと思ったけれど目の前に居るのは三月兎でもなく帽子屋でもなく、ましてやアリスでもないスネイプ教授。


「あの」
「砂糖なら奥の棚だ」
「いえ、頂いても宜しいのでしょうか」
「ああ」


短い返事に軽い会釈で返してカップを口元へと持っていく。香ってきた匂いは他の紅茶とは違って強いから、きっとアッサムだろう。一口飲んでみると、独特の苦さと風味が広がった。



「え、ああ・・何ですか?」


手紙を読んでいた教授が突然私を呼んだものだ。返事をすると同時に急いでカップを置いて、教授を見る。カップの中身は揺れていて映し出された天井が波打っていた。



何が起こるかなんて此処に来る前の私が知っていたら、絶対に此処へは来なかった。





私の目の前に一枚の手紙が置かれる。

差出人は、  ティナス・