そう息が苦しいほどに、ね



Bit U



お母さんの旧姓、サンビタリアというのは花の名前でもある。

向日葵を小さくしたような形をしていて、夏から秋にかけて咲くらしい。残念なことに、今の季節は秋から冬へと移り変わろうとしていて、サンビタリアの花を見たのはフランスの家を出るときが最後だった。

(来年の夏は見れないんだろうな)

今の私にはフランスの家に帰る勇気などなく、黒い髪を揺らして笑うお母さんの隣でセシィを抱き上げるお父さんの写真を、ただ眺めて微笑むことしか出来なかった

その写真が挟まれた小さいアルバムの最後は、ここへ来る前にお父さんに見せてもらった写真を挟んでいた。スネイプ教授と、その両親と、使用人たち。その写真の中で一人だけ笑みを浮かべる女性。
写真を指でなぞって、無表情の家主を指で弾く。

(貴方も私には会いたくないんでしょうね)

その写真を見るたび湧き上がる暗い気持ちを追い払うかのように、明るくて、良くとおる声が私の背後から聞こえた。

「丁度いいところに、ミス・!」
「スプラウト先生?」


談話室のソファに座っていた私の方へとハッフルパフの寮監、スプラウト先生が植木鉢片手にいつもの笑顔で駆け寄ってくる。


「この植木鉢を温室へ持って行って欲しいのだけど、頼めるかしら?」
「ええ、構いませんよ」


植木鉢を受け取って中を覗いてみると変わった色をした種が入っていた。スプラウト先生に視線を戻したら「綺麗な花を咲かせるのよ」と先生は微笑んだ。



*



校舎から少し離れたところにある温室はいつも授業で使うものとは違い、スプラウト先生個人のものらしい。所狭しと植木鉢が並べられている。棚に植木鉢を置き、温室の中の窮屈なレンガの小道をゆっくりと歩いた。

さすが魔法の世界の植物とでも言おうか。一つの茎から様々な形と色をした花をつけていたり、指で突付くと甘い匂いが香るもの、温室の天井まで高々と伸びた七色の花は今まで見た中で一番大きい。

棚の花を順々に見ていたら、黄色の花が小さなプランターの中で、他の派手な花に隠れるようにひっそりと置かれているのを見つけた。

(・・・サンビタリア?)

姿形は記憶の中のサンビタリアとそっくりで、けれどマグルの世界の花が、このホグワーツにあるなんて、この小さくひっそりと咲く花は本当にサンビタリアなのだろうか。

花びらを指先でそっと触ると黄色い花びらが一瞬で白に染まった。その不思議な変化はマグルの花ではないことを表していて、サンビタリアではなかったことに肩を小さく落としてしまう。

(やっぱり来年も見れないのね)

僅かに残っていた期待も無残にも砕け散り、胸の奥に破片が落ちているような気がした。


「誰だ」


突然、温室に聞き慣れた声が響いた。私が立っている棚の隙間から扉の方を覗き見る。

薄暗い温室の中だから、相手の顔ははっきり見えないけれど、先ほど聞こえた声で誰だか直ぐに分かった。

スネイプ教授だ


「そこで何をしている」


スネイプ教授が声を出すまで、人の気配に全く気付きもしなかったのに、眉間に皺を寄せてこちらの方へと歩み寄ってくる男は、入ってきた瞬間、人がいることが分かったのだから凄いとしか言えない。どこか常人離れしているような雰囲気を持っていたけれど、ここまでとは。


「すみませんスプラウト先生のお手伝いで、すぐに出ます」


スネイプ教授の姿が視界に現れ、挨拶程度に頭を下げた。いつも通り教授はそれを無視し視線を何かに向ける。


「その花は」
「似ている花を知っていて触ってみたら色が変わってしまったのですが」


元に戻るんでしょうか?と尋ねながら隣の花に目をやって、やはり返ってこない返事に、心の中で苦笑いをこぼした。


「サンビタリア」
「・・・え?」
「サンビタリアに似ているのだろう」


その言葉に軽く微笑んで頷き、そんな余裕ある外見とは裏腹の激しく波打つ鼓動が苦しかった。 教授からサンビタリアの名を聞くのはこれが二回目。


「サンビタリアの花言葉をご存知ですか? 切なる喜びって言うんですよ。」


息が詰まるほどの苦しさを紛らわすように少し早口で話を続ける私に、スネイプ教授はきっと今にでも減点をしたい気持ちなんだろうと思いながらも、顔を上げ目を合わせるのが怖くて、落ち着くために、軽く息を吐き言葉を続けた。


「もう一つは―――」
「ミス・


言葉を遮られ 躊躇しながらも顔を上げる。教授は無表情のまま、けれどその表情からは怒りも嫌悪も見えず、そう、ただ私の隣にある小さな花を見ていた。


「すみません、話し出すと止まらなくて・・・」
「もう遅い 寮に戻りなさい」


そう一言告げ、教授はローブを翻して温室の奥の小部屋へと歩いて行く。

無表情の中に唯一見ることが出来た教授の眼は、私が知らない過去を見ているように思えた。

サンビタリアの名を持つお母さんを知る教授は、サンビタリアのもう一つの花言葉など知らないのだろう。薄暗い闇にさえ、溶けてしまいそうな教授の後姿が視界から無くなるまで、私はただ、頭の中をぐるぐる巡り回る花言葉と、まだ激しく鳴る鼓動に眉を顰めて、それを消し拭うように走って其処を出た。


「その眼で何を見ていたのですか」


掠れた声で小さく呟けば、私の耳の中で響いて消えていく






泡沫のように、空に沈む鳥のように