夢 見 が ち ラ ビ リ ン ス 目覚めは最悪だった。 それはついさっきまで見ていた夢のせいでもあるし、窓の外で降っている雨のせいでもある。寝癖がついた髪に櫛を通して、制服に着替える。他の人たちは私よりも一足先に部屋を出たようで誰もいなかった。 ふと見た机の上に置かれているカレンダーの今日に日付に“ホグズミード”と赤いペンで丸を付けられていて、そういえば今日は授業がない週末だったことを思い出す。 「そっか、ホグズミードか」 許可書はあるけれど、雨が降っている中、動くのはあまり好きじゃない。次の週末にでも行けばいいだろうと、今日は学校の中で大人しく過ごすことにした。 校舎の中は当たり前だけど、いつものような賑わいはなく、普段はたくさんの生徒で溢れる大広間も私一人で、スプーンをプレートの上に置いた音がカチャンと響いた 「これから何をしよう」 大広間で一人、やり忘れていた課題を広げてみても、全然進まなくて、ペンのインクが羊皮紙に滲むばかり。顎を乗せていた手を動かしたときに肘が当たって、散らばった羊皮紙に真っ黒なインクが飛び散った。それに驚いて席を立ったら、白いシャツにもインクが跳ね返る。 「うわっ!」 早く洗濯をしないときっとシミになってしまうだろう。羊皮紙とペンを片手に走って大広間を出て階段を駆け上った。 寮に着くとすぐに着替えて、今度はインクで汚れたシャツを片手に階段を駆け下りる、なんて忙しい人間なんだ私は。 「、何をそんなに急いでるんだい」 「ルーピン先生!」 足を止めると丁度そこは闇の魔術の防衛術の教室の前で、ルーピン先生が分厚い本を抱えてドアの前に立っていた。 「は面白い子だね」 ティーカップに紅茶を注ぎながらルーピン先生は楽しそうに笑った。 「なんであんなに焦ったのか自分でも不思議なくらいです」 インクのついたシャツを片手に階段を、駆け下り廊下を走っている自分の姿を思い浮かべると、笑いそうになる前に呆れかえってしまいそうだ。 「でもこのシミ、取れますかね」 「しもべ妖精達が綺麗に洗ってくれるさ」 「ですよね、これはしもべ妖精に感謝感激です」 ルーピン先生が注いでくれた紅茶を一口飲んでみたら、自分で作るよりもずっと美味しくて、ほっと安心した気分になった。まるで、魔法みたいだ。いや、先生は魔法を使える魔法使いなんだけど。 「ああ大変だ窓を閉め忘れてたみたいだ」 雨が降り込む窓を閉めているルーピン先生の姿を見て、今朝見た目覚めの悪い夢のことを思い出した。 (どうか正夢になりませんように) 夢の中で私は窓から空を見ていた。今日とは大違いの清々しいくらいの快晴の空。ずっと空を見てたら、晴れている空から雨が降ってきて、それでも空は晴れたまま、真っ青で日差しが眩しいまま。 窓からを身を乗り出して空を見ようとしたら、そのまま窓から落ちてしまって、だけど地面には落ちなかった。下へ下へと落ちていくうちに空の上へ上へと行っているように、息がだんだん出来なくなるんだ。 呼吸の仕方を忘れそうになったとき、目が覚めた。 (本当に目覚めが悪い夢だった) 「急に静かになったね 」 「あ、いえ 今朝見た夢のことを思い出していたんです」 私の向かいに座ったルーピン先生は首を傾げながら、お皿に乗ったチョコレートを食べていた。 (チョコ好きなのかな) 「窓から落ちてしまうんです、空を見ようとして」 「それは怖いね ベッドから落ちなかった?」 「流石に落ちませんでした。でも目覚めは悪かったです」 目が覚めたとき見た空が、夢で見た晴れている空から降ってくる雨に見えて。 「雨、止まないね」 「今日一日、降り続きそうですね」 窓の外は晴れていた。 鍵を開けて、今度は落ちないように空を見上げる。雨が降る気配なんて全くない、ただ太陽の陽射しが眩しい。 「ルーピン先生 晴れましたよ」 隣の窓から空を見上げているルーピン先生に、声を掛けたら、そうだねと微笑んで窓から顔を出していた。 「 雨はまた降るかも」 ゆっくりとスローモーションで先生が窓から落ちて行って、朝見た夢の中の私みたいに下へ下へと落ちていく。 (駄目、先生が) 先生が死んでしまう。 「先生!!」 冷たい床にへばり付いた頬と荒い呼吸に、一体何があったのか分からなかった。 「?」 「え?」 椅子から立って、先生が私のところへと歩いてきた。床から顔を離して起き上がって座る、後ろ向くとベッドがあった。 (夢、か) 「大丈夫? 怪我は?」 「大丈夫、です。 私、寝てしまったんですか?」 紅茶を飲んで、そのままソファで寝てしまったらしい。寮ならともかく、先生の部屋で寝てしまうなんて非常識だ。 「気持ち良さそうに寝てたから、起こすのが悪く思ってね」 あのソファは硬いからベッドまで運んだんだ。先生はそう言って、ベッドを指差し笑った。 「えっと、重かった、ですよね」 「全然。これでも一応、力はあるんだよ?」 床に座ったままの私を、両脇に手を添えて抱え上げベッドに座らせる先生。 (先生ってフェミニスト) 「何か悪い夢でも見たのかい」 「あ、いや その」 先生が窓から落ちて死にました。なんて本人の前で言えるものか。 「また落ちた?」 「・・・はい」 「それは、もしかして僕?」 私が言わなくとも分かってしまっているようで、小さく頷くと、先生は小さく笑った。 「そんなに気にすることじゃないよ。あ、雨が止んだみたいだね」 私がずっと俯いている間、先生は静かに窓の外を見ていた。 「あの、先生は、その。流石に、窓から落ちたりしませんよね」 「さあ、どうかな」 その言葉に驚いて、顔を上げたら先生はいつも通り笑っていて、(あ、でも悪戯が成功して嬉しそうな笑い方)やっと顔を上げた、と私の頭に手を置き、さっきベッドから落ちたせいでグチャグチャになった前髪を、先生の細くて長い指がゆっくりと梳いた。 (甘い匂いがする) 「・・ルーピン先生?」 「さあ 、雨も上がったことだし窓でも開けようか」 ルーピン先生がベッドから立って一番近い窓の鍵を開ければ、さっきまで雨が降っていたとは思えないほど、涼しい風が部屋に舞い込んだ。 「・・・落ちないで下さいね」 先生が立っている窓の隣の、窓の鍵を開ける瞬間が、つい先ほど見た夢の中の光景と同じで、晴れた空が怖い。 「君のほうこそ」 先生は、からかうように微笑んで、私の頭に手をのせて一撫でして「寝癖が少しついてるよ」と、また髪を梳いた。 (ああ大変です先生) 窓から落ちる夢も確かに怖かったけれど(先生が落ちる夢もね)、夢の中じゃない今の私は 「 せっかく晴れたから散歩にでも行こうか」 厄介な恋に落ちてしまいました。 << 気付いているのに、その態度はないんじゃないかい 心優しいフェミニスト 08/08/14 加筆修正 |