One day winter afternoon



苦手といえば苦手だ、あの厳格な物腰と重苦しい雰囲気、刺々しい言葉達。黒に身を包んで靴の踵を鳴らしながら歩く姿。苦手だけれど、授業がなかった日や、休日一度も顔を見れなかった時は、苦手だったもの全てが愛おしくさえ感じたのだ、そう、あのセブルス・スネイプを。

それを恋愛感情と呼ぶなら、まさしくこの気持ちは教授に対する恋愛感情の他の何にも言い換えようがない。私は教授のことが好きで、当の本人は当然といえば当然だが、大勢の生徒の中で目立った成績でもなく、容姿でもない私のことを彼は知らない。けれどそれでいいのだ。知ってもらったとしてもという存在は教授の中で一生徒として記憶に埋め込まれるだけで、風化していくのだから。



季節は風が肌を刺す冬。冬休みの長期休暇はレポートの山と旅行に行った両親のおかげで、ホグワーツで寂しく過ごすことになった。だから当然クリスマスもだ。友達から届いた手紙を人が2、3人いる大広間で朝食代わりのワッフルを食べながら読む。ホグワーツに早く戻りたいと書かれた手紙からはラベンダーの匂いが仄かにした。


「ラベンダーか、また随分と季節外れ」


笑いながら独り言を呟いて手紙を元通りたたむと、ワッフルがのっていたお皿をいつも片づけをしてくれてる妖精たちが片付けやすいように、テーブルの一番端っこの椅子に置いて大広間を出た。その時に気付いたけれど、手紙を読んでいる間に大広間にはどうやら私しか残っていなかったようだ。随分と長居していたらしい。


寮の部屋に戻っても話す相手もいないので、校舎の外へと足を向ければ思ったとおり寒かった。いつもよりも厚着をしているのにこんなに寒いなんて、そうぼやきながら幾つかある塔の中で、今では殆ど使われていない塔の扉の鍵をアロホモラで開けて、塔の一番上にある部屋まで長い螺旋階段を登った。この歳で言うのはなんだけれど、長い階段を登るのは正直しんどかったりする。

部屋の中は誰にも使われていないため埃っぽい。窓を開け放ち、風が吹いたせいで埃が宙を舞った。おかげで体中にその埃が降りかかる。それを掌で軽く払って、部屋の壁一面にある本棚に並べられた、これまた随分と埃かぶっている本の背表紙を指でなぞりながら、図書室に入りきれていない昔の本から一冊だけ選んだ。


「魔法薬学とその真理、故に消え失せた某博士。・・・長いタイトル」


ホグワーツで使う教科書のタイトルもそうだけれど、魔法の世界の本のタイトルは、本の内容を表す短い言葉という枠を超えてある一種の文章だと思う。

魔法薬学、という単語が目に入って手に取ったその本は面白いとは言えず、専門的用語の繰り返しで16年しか生きていない私にしてみれば暗号のようなもだ。それに比べスネイプはきっとこの本の内容なんて読まずとも全て暗記しているのだろう。

そんなことを思いながら笑みを浮かべていたら、扉が静かに開いて、奥からはついさっき考えていたスネイプ教授が立っていた。眉を顰めて私を見ている。


「此処は生徒立ち入り禁止のはずだが」
「ああ、そうでしたっけ。此処にある本は図書室のものよりも興味深いのでつい」
「図書室の本でさえ、ろくに読んだこともないのだろう」


冗談も程々にしろ、そう言って笑ったスネイプに、そうですねと笑い返す。その反応が気に障ったのかスネイプは踵をカツンと鳴らして部屋へと足を踏み入れ、私の目の前へとツカツカと歩いてきた。教授は背が高いから見上げないといけない。


「生徒は立ち入り禁止だ。出て行け」
「この本、お借りしても宜しいですか?」


手に持っていた4センチくらいある分厚い本を半ば押し付けるように渡す。本と私を交互に一瞥して、教授はその本の最初のページを捲ったその姿に、あの長い指にそっと触れられて捲られる本が羨ましいと思った私はきっと重症だろう。


「この本の内容を理解して借りると言っているのか」
「まさか。理解できませんわ、そんな難しい言葉ばかりの本なんて」
「ならば読む必要などないだろう」
「まあ、そうですけど・・・興味があるんです、お借りして宜しいですね?」


呆れたように私を見て教授は本を押し返す。本を受け取って私は教授を見た。黒い髪を少しだけ揺らして本棚の一番上にある、6センチはあるだろう分厚い本を取っていた。黒い服に包まれた先に見えるのは白い手で、教授がローブを揺らすたびに仄かに薬品の香りがした。これはあれだ、この前魔法薬学の実験で作った薬の匂いと同じ。


部屋には本を捲る音だけがしている。教授が本を読んでいる間、ずっと窓から外を眺めていた。冷たい風が吹く外には誰も居なくて、枯葉さえ何処かへ散ってしまった木が寒そうに見える。小さく咳をして着ていた上着の袖で手を隠そうとギュッと引っ張った。そのせいで服の袖が少しだけ伸びたかもしれないけれど、まあ、気にしない。

咳の次はくしゃみで、風邪をぶり返しそうだなと思っていたら窓がバタンと閉じた。私が閉めたわけではない、両手は窓の枠の上で組まれたままだ。ふと後ろを振り返ると教授は先程と変わらず本を読んでいた。あっという間に3分の1を読んでしまっている。


「己の体調管理が出来ないとは、呆れたものだ」


私の視線に気付いたのか本を閉じこちらへと顔を向ける。分厚いそれは元あった場所に戻され、その拍子に棚に溜まっていた埃がふわりふわりと床へと落ちた。


「教授が 窓、閉めたんですか?」
「空気を入れ換える程度でいい。この部屋は校舎内より冷える」


教授が指を小さく鳴らすと窓の鍵が閉まり、その入れ代わり部屋の小振りなシャンデリアに明かりが灯り、部屋は暖かいオレンジに近い色に包まれる。

続かない会話(果たして今のが会話かどうかは分からないが)は、少し居心地が悪いが、教授に会える日は、この長期の休暇中、皆無に等しいのだ。せめて今だけでもと、もう一度、教授に「出て行け」と追い出されるまで此処に居たい。ただそれだけで良い、本当にそれだけで。


「・・・私はもう出るが、まだ其処に居る気か?」
「ああ、いえ。 戻ります」


カツン―――。部屋に入ってきたときと同じように靴の踵を鳴らし、教授は歩く。私がドアから出るのを見計らって扉がパタンと静かに閉められた。先を行く教授を後ろからずっと眺めながら、螺旋階段に響く二つのリズムのばらばらな足音が可笑しかった。


「教授」
「何だ」
「この本、返す際には教授を通してからの方が宜しいですか?」


私の問いに階段を降りる足を止め、振り返る。ローブが波打つように揺れていた。教授は何時だって無駄のない動きで、それはまるで周りを威圧さえしているように見える。そのせいで多くの生徒から嫌われるのだ、他に原因もあるのだろうけれど。


「こちらも忙しいのだが、しょうがない。一週間後、私のところへ」
「分かりました、御迷惑お掛けします」
「ああ、全くだ」


再び階段を降り出した後姿をただ眺めていた。その姿は凄く遠いと感じた反面、近くいるような気もして、手を伸ばしてローブを掴みたかったけれど、それが叶うわけもなく、そっと宙に伸ばした腕を力なく下ろした。


「質問があれば午前中ならば何時来ても構わん」
「・・・え?」
「その本の内容をお前が理解するのは難しい」
「いいんですか?」


思わず問い返す。確かに内容は全く理解できそうになかったのだが、別に理解しようとも思っていなかった。けれど、教授が自ら質問のために自分の所へと来るのを許可したのだ。それを断るほど私は晩熟ではない。


「私が良いと言っている。ただし煩くしないのならの話だが」
「教授がそう仰って下さるのなら、とても助かります」
「これはまた、随分と達者な口のようだな」


鼻で笑う教授に「褒め言葉として受け取っておきます」と答え塔の扉を開ける、丁度その時、厚い雲の隙間から温かい陽射しが当たりを照らした。


「ただし、その本を読み終えてからの話だということを頭に入れておけ」
「はい」


小さく頷いてさっきと同じように校舎へと戻る教授の後ろを2メートルより少し多いくらいの間隔を開けて歩く。教授はそれに文句を言うこともなく、どちらかというと無視しているのだと思うが、まあとにかく、違う寮の何年生か下の学年にいる英雄の少年ほど嫌われてはいないことが幸いだった。その感情で手を伸ばすことの出来ないもどかしさに蓋をして閉じ込めた。これでいい、これでいいと何度も自分に言い聞かせながら、冷たい空気と風のせいで冷えた指先を上着のポケットに突っ込んで、白い息が何処かへ静かに消えていった。


「寒いのなら何故、コートを着てこなかった」
「え、ああ。えーと、これでも厚着しているほうなんですけど・・・」
「この季節にシャツとカーデガンだけで外に出るのはお前だけだ」
「はは。教授の仰るとおりです」


乾いた笑い声のせいで喉がチクリと痛む。喉元を指先で軽く撫でれば、その手があまりにも冷たくて首筋にぞわっと鳥肌が立った。


「ミス・


突然名前を呼ばれ、教授を見上げた。この人は私の名前を覚えていたのか。そのことに思わず顔が綻びそうになるのを抑えて「はい」と短く返事をする。


「風邪に効く薬がある、寮に戻る途中、私の部屋に来い」
「はい。わかりました」
「何をそんなに嬉しそうにしている。もう少し早く歩けないのか」


波打つローブを冷たい指先で軽く掴んで前を行く教授の後を追いかけた。





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